穂高シーナの日々

双極性障害、漫画、イラスト、音楽などつづります。

WEBデザイナーになる

病気の調子が良いので、バイト探しを始めた。

WEBデザイナーになりたかったので、デザイン会社の面接を受けたら、見事合格。

アシスタントとして、仕事を始める事になった。

 

しかし、仕事は遅いし、同期の子の方がデザインセンスはなくても、FLASHの技術などがあり、完全に負けている。だけど、私あまり勉強しようと思わなかった。先輩がそんな、私を見かねて「WEBの本、買いに行こうか」と言った言葉が今でも忘れられない。

 

同時に飲食店でもバイトをしてた、私は毎日がクタクタだった。病気のくせにやろうとしちゃうんだろうね。これも、症状の一つだと思う。

コールセンターの想いで

お薬も変わり、だいぶ安定してきたので、WEBデザイナーの勉強を始めた。元々私は、高校からデザイン科で、専門もデザイン学校。デザイン学校出といて、なんでお前コールセンターでバイトしてんの?って思った人も少なくはないはず。

 

しかし、私の時は、就職氷河期だったのもあるし、何せデザインやってる人って、似たタイプが多いから、そこから抜け出して、たくさんの人達と、話してみたかった。

 

コールセンターは、役者とか、バンドマンばっかりだったから、趣味が良くあった。

私が知らない、音楽もたくさん教えてもらった。今思えば、良い経験だと思うよ。

ハードなクレームも多かったけどね。

 

何事も経験は大事です。

双極性障害って?

始まりというか、最初から躁鬱だったんだよ。双極性障害の場合、あまりはっきりとした、原因が分からない病気。うちのおじいちゃんもうつっぽい時期はあったけど、遺伝性もあるかも知れないという程度。

 

双極性障害というのは、感情に波がある病気、Ⅰ型とⅡ型があって、ついに医者から双極性障害Ⅱ型だと言われた。だけど、みんなこの病気自体がある事なんて、知らない人も多いと思う。私、自身もうつは知っているけど、双極性障害の事なんてまるで分らなかった。

 

簡単にいうとハイとローの差が激しい病気。ハイの時はなんでもできると思い、寝なくても平気。しかし、ローになると、睡眠薬なしでは、寝る事が出来ない。

 

闘病は長く続きそう、自立支援の制度を使い、金銭面で負担をするように手続きした。

薬も変更になった。

 

アモキサンという薬

うつ病の治療でよく使った薬。よく効くのだけど、先生曰く昔の薬なので、太るといわれた。事実太った。

 

Sサイズの服が着れなくなった。昔から体形にコンプレックスを抱いていた、私には、痩せてる自分でないと許せなかった。

 

いっぱい食べてないじゃん。どうして太っちゃうの?

また、泣いた。

療養生活

引っ越しした時の荷物は、田舎の家にほとんど運んだ。考える事が出来ない私は、今では何を言われているか分かっているのに、母親に「洗濯しなさい」「掃除しなさい」と言われた時、何をすればいいか分からない、自分がいた。母親に同時に言われると解らないと、言った。

 

結局静養生活は、あまり意味が無かった。

OASISが聴けない!

実家に帰ってたはいいが、寝てばかりの日々、親もよく病名が分からないし、でもまあ、自分の娘だから、戻ってくる事に対しては、怒っていなかった。

 

私は、音楽が大好きで、OASISが本当に大好きだった。初めて聞いた「 Rock 'n' Roll Star」に衝撃を覚えた。ところが、いざ聴こうすると。音が怖い。音がうるさくて聴くことが出来ない。ロック全般じゃなくて、大好きなドリカムだって無理。小型のCDプレーヤーで、ヘッドホンを付けて、聴くのが大好きだったのに。

 

明らかに、自分でもちょっとおかしいと思うし、親ですら、少しおかしいと思っていた。そんな時、母が田舎に家があったので、そっちの方で静養を勧めた。

帰省

親に事情を話して、実家に帰る事にした。引っ越し代は、もう一枚カードを持っていたので、そっちもキャッシングして、引っ越し費用に充てた。当時は部屋を改造して、約5万使って、床をタイルで張り詰めた。それを撤去するにの、また金がかかる。

結局、高円寺で得た物はなんだったのだろうか?